講師信仰随想「見えない贈り物」

2018年02月01日

三豊市 山岡 益子

 blogshow893[1]『永平寺の奕堂(えきどう)和尚がある朝本堂に座っておられますと、まことに気持ちの好い釣鐘の音が聞こえて来ました。あの鐘は誰が撞くのであるか、まことに清々しい浄らかな鐘の音だと思って、「今鐘をついた人を呼べ」とおっしゃいました。そこへ来たのは新参の小僧でした。

 お前はどう云う気持で今の鐘を撞いたのであるかと訊きますと、「国を出るとき何事をするにも有りがとうございますと念じながらせよと母に教えられたので、その心で撞きました」と答えたと云うことです。』

 この小僧は後に有名な森田悟由禅師になられた方です。(『新版真理2巻』より)

 生長の家ではコトバ(身・口・意)が人生を創ると説かれています。人の幸福を祈る心を起こすと、その善念は自分に反射して帰ってきて自分を祝福し、反対に人に悪念を送ると自分に反射してきて、自分が害されることになってしまいます。

 私たちは、常に自分がどんな心でいるかが大切になります。かつて同じ職場の後輩が病気になり、早く良くなってほしいと心から祈りました。

 最初は私の話に少しも耳を貸さなかった彼女が、次第に心を開き、神誌を読み、会う度に明るくなって健康を取り戻していく様は、私の大きな喜びとなりました。

 何処にいてもどんな時にも、誰かのために祝福の心(見えない贈り物)が送られるように、神の子として研鑽を続けていきたいと思います。

(平成29年「光明」紙6月号より抜粋)