魚は呼べばよい

2019年04月01日

 

教化部長 坂次 尋宇

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■全て神の命と一体であるとの意識革命
   現在、生長の家では「神・自然・人間は本来一体である」と知る深い意識革命によって、“新しい文明”の基礎を築き、そこから地球環境問題を解決しようと世界に向かって訴えています。人間の欲望満足のために突き進んできた科学技術は、人間を幸福にするどころかかえって不幸を持ち来しています。生長の家の説く「大調和の神示」にあるように、天地一切の物は全て神の命と一体であるとともに、全ての物に生かされていると感じて全てに感謝の念を起こし、自然に悪影響を与えない生活を実践して行くことが私達人類に求められる生き方です。

■日本海にマグロが
 以前不漁続きだった港で海に向かって祈りを続けていると、マグロの大群がやって来たという話を紹介します。『光がこだまする』という本の84頁です。
 
 昭和57年の初夏のことだ。
 漁港で有名な鳥取県の境港では、当時不漁つづきで、漁民やその家族、水産関係の人たちがみな、頭をかかえていた。
 そこで、生長の家の誌友が揃って、誌友会場や、由緒ある山の上の大湊神社で、集団早朝神想観を実修した。世界平和は勿論、産土神社であるので、その地域の人々の平和と幸福、それから大漁祈願や繁栄祈願も実修した。毎朝である。鳥取県の教化部でも合わせて、そのことが祈られた。
 やがて、7月2日、ふってわいたようなビックニュースがとびこんできた。
 日本海の赤碕沖に、とつぜんマグロの大群が押し寄せてきたというのである。マグロといえば、これまで日本海でとれたことがないのである。それなのにマグロがやってきた。しかも、その大群に出逢って、いちはやく水揚げしたのは共和水産の船であった。社長の和田義孝氏は長年の聖使命会員。第一報を打った無線技士の柏木さんは家族ぐるみの生長の家。船にも『甘露の法雨』がお護りとして飾られていた。
 実は、柏木さんの奥さんも祈りのメンバーの一人であった。ご主人が漁に出かける6月30日の朝、奥さんの明子さんは、ちょうどお風呂に入っていた。玄関を出ようとするご主人のけはいを感じた明子さんは、あわててとび出し、
 「お父さん、一寸待って! これをもっていってよ、忘れないでね!」
といって、裸のままでとびだし、お守り『甘露の法雨』をご主人に手渡したのだった。ご主人も思わず笑いながら、出かけた二日後の朗報である。
 境港は、ときならぬマグロの大漁で、おおいに賑わった。なにしろ35年ぶりの豊漁。その上、日本海にはいないはずのマグロの珍客、それも大漁で―というわけで、テレビや新聞、ラジオもこのニュースでもちきりになった。
 アフリカ沖のマグロと違い、近海ものの本マグロは値が高い。一匹20万円前後もする。それが千本も水揚げしたのだから、しかも2億円以上の売り上げだ。
 境港港では、マグロを解体する専門家がいないので、急遽、大阪や、焼津などの各地からよ呼び寄せての売りさばきであった。