辞めたらあかん

2019年08月01日

教化部長 坂次 尋宇

yjimage5BKLVW9T■転職
  昭和54年、空を飛びたいという念願が叶って入社したヘリコプターの会社を辞め、人々を幸せに導いたり国の為に尽そうと決意して生長の家愛知県教化部に奉職することにしました。ヘリコプターの会社は、主に送電線の鉄塔建設のための資材を運搬する仕事でした。一方父の勤める会社は、送電線の鉄塔を建設する側の会社でしたので同じ業界となり、父と仕事の話ができたので父は喜んでいたようです。

■信頼
 さて、両親に転職の話を切り出すには、先ず生長の家を信仰している母に伝えて了解を得て、それから信仰をしていない父に話して母から援護をしてもらう計画でした。ところが結果はまったく逆で、母は給料の減収や大企業を辞めることに反対で非常に現実的でした。ところが父は「お前がやりたいと言うのならやってみろ」の一言でした。
 生長の家を信仰している母が転職に反対し、生長の家を全く知らない父が賛同してくれ、驚きと感動が心の中で広がりました。母は私を見ているのではなく私の現象の環境を見ているのに対し、父は私という人格を見て信頼してくれていると感じました。父からの深い信頼によって、湧き上がる悦びとともに、生き方に対して腹が据わった様な気がしました。

■愛するがゆえに放つ
  『新版 生活と人間の再建』156頁~157頁には次のように書かれています。
  慈悲喜捨の四無量心こそ真の愛であるが、最後の捨徳こそ四無量心を完成するものであり、同時に最も成しがたき愛行であるのである。通常「愛」とは「愛」する者を自分の側近に引きつけて置きたいものであるけれども、捨徳は、「愛する者」を「愛するがゆえにこそ」捨て、放つのである。小鳥を愛するが故に、小鳥を籠の中に入れて楽しむのではなく、小鳥を自由に放つのである。愛児が瀕死の病いに罹って、もうどうにもならないときに、みずからの好悪によって、その愛児を地上に引きとめて置きたいなどと思うことなく、「み心ならば天国になりと、どこへなりと引取りたまえ」と祈り得る心である。自己の愛憎や好悪を捨て、ただ神のみ心にすなおに委せ切って、自己の最も愛する者をさえも放つのである。