肉体は存在しない?

2019年09月01日

教化部長 坂次 尋宇

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■小川をもってこい
「この夏は日照りが続いて雨が1ヶ月ほど全く降っておらん。これじゃー野菜が全部だめになる。おまえ、ちょっとすまんがあそこの小川を持ってきて、畑に水を撒いてくれんか?」こんな事はできませんね。小川は水が流れていると言う状態を示すのであって、小川その物が実体としてあるのではないからです。ですから流れている水が無くなれば小川は無くなるのです。

■本当の姿
  水の本当の姿とは何を指すのでしょうか?水は一気圧では100度で沸騰し水蒸気と言う気体になり、0度以下になると氷という個体になります。また、その中間の温度では液体の水です。しかし変わらないのはH2Oと言う水の分子で、そんなことは皆さん充分ご存知ですね。水の本質は変わりませんが、気温によって水の状態が変わるのです。
 そこで「状態」とは何であるか。その意味を辞書で調べてみました。
 ①ある事物・対象の時間とともに変化しうる性質・有様等を指す言葉。②移り変わっていく人や物事の、ある次期における有様。
  とありました。つまり物事が変化して次の形に移行する途中のことといえます。

■肉体は“炎”である
  さて、総裁・谷口雅宣先生は『小閑雑感』パート12の20~21頁で、ロウソクの炎について次の様に示されています。
 ここでの第1のポイントは、「炎」という物質の塊が存在するのではないということだ。人間が目で見たときに、ある温度以上に達した空間の化学反応が、それ以下の温度の空間と区別されて「光」として認識されるのである。「炎」というものが存在するのではなく、人間の目が一定の高温状態の空気の領域を、他の領域と区別して「光」として捉えた部分の呼称である。(中略)第3のポイントを挙げると、「炎」とは一種の「流れ」であるということだ。それは川の流れのように、1つのものが現れたらたちまち流れ去り、次の瞬間には別のものが現れ、それがすぐに流れ去り……というように、一定の物質が一定の場所を占めてそこに「在る」のではなく、パラフィン等の成分である可燃性の物質の分子が、高速で酸化反応を起こしながら常住流転しているものの通り道が、人間の目で見ると一つの“塊”のように見えるのを、「炎」と呼ぶのである。それは、「川」という物質が存在するのではなく、一定の量以上の水の流れを、人間が「川」と呼ぶのと同じことである。
  このことが、「肉体はナイ」ということと、どう関係するのか?それは、人間の肉体は本質的に「川」と同じであるから、川が存在しないならば、肉体は存在しないと言えるからである。(中略)
 私たちの肉体の新陳代謝がこのように行われ、さらに物質だけが存在するとするならば、肉体は存在するのではなく、川のようにそこに見えている(現れている)だけの“仮の存在”である。川は水の流れの一つの「呼称」にすぎないのであり、「川」という実体はない。それと同じように、肉体は物質分子の流れの一つでの「呼称」にすぎないのであって、「肉体」という実体はない。すなわち「肉体はナイ」のである。