講師信仰随想「文化の本源としての神想観」

2020年12月25日

観音寺市 藤井幾代

 私は生長の家の三正行(神想観・聖経や聖典の読誦・愛行)の中の神想観をしている時、また今日一日を振り返り感謝の言葉を『日時計日記』に書いている時に、ふと思い浮かべる言葉があります。それはこの一節です。

   【凡ゆる文化の本源である絶対真理を正確に完全に把握し、それを全身全霊を以て実行せんと努力する者である。その絶対真理とは、「人間は神の造り給うた完全なる神の自己顕現である」という事だ。「凡ての人間は神の子である」。人間相互の間に何らの摩擦闘争もない。不和闘争があると思うのは、思う人の迷妄である。人生は観る通りにあらわれる。暗い人生観をもてば暗い人生が展開し、弱肉強食の闘争の世界観をいだけばその通りの世界があらわれる。】『求道と伝道のために』56頁~57頁

 私も日々の生活の中で、三正行を実践しています。その中で特に神想観を重んじています。神想観をしていると、良い想念がわたしの中で湧き出てきます。ひたすらに実相を礼拝していくことが私の目標です。素晴らしい生長の家のみ教えに触れている毎日に感謝しています。『日時計日記』を毎日書いて三正行を実践しましょう。