茶髪の兄ちゃんとの出会い

2016年08月01日

教化部長 坂次 尋宇

■突然の出会いyjimageNLJBUIJI
   35年ほど前、独身の時の事です。生長の家の青年会活動をしていた私は、青年会の会議が深夜11時頃終了したため、私の自宅と同方向で終電車の無くなった先輩を車に乗せて彼の自宅まで送る事にしました。先輩のお宅に到着したのは午前0時頃でした。早速自宅に引き返し、途中の国道沿いにある自動販売機専門の休憩所でコーヒー缶を買って休憩したのです。そこには男性が3人程いました。
 するとそこへ茶髪で18歳前後の若い暴走族風の男が入ってきて、休んでいる男に順番に声をかけていて、私の方に近づいてくるのです。早くこの場所から逃げだすためにコーヒーを飲み干そうとしましたが、間に合わずついに男に捕まってしまいました。
「家まで送ってくれ!」と挨拶もなしに言うのです。
 何で私がおまえを送らなければいけないのか、早く帰りたいので断ろうと思いました。ところがふと彼の太もものジーパンをよく見ると、ジーパンが裂けていて中の足も傷ついているではありませんか。
「何だ。怪我しているじゃないか、それなら送るよ。家はどっちだ」と聞くと、丁度自宅への帰り道方面だったので彼を乗せて車を出発させました。
 運転しながら怪我の理由を聞くと、なかなか話してくれなかったのですが、それもそのはず車かバイクか不明ですが、パトカーに追われて事故を起こし逃げて来たと言うのです。
「あんた親切だねー」と彼が言う。
「はあ?おまえが乗せてくれって言ったからじゃないか。人間生きていると色々困った事があるから、その時はお互い様で助け合うことが大切だよ。もう君と会うことは無いから、君がありがたいと思ったら私に恩を返すのではなく、今度困った人を見つけたら、その時に私に恩を返すつもりでその人に親切にすればいいんだよ」と彼に話したのでした。

■逃げた彼
  車は彼のアパートに近づいて来たが、手前で降ろせと言うのです。私に自宅を知られたくないらしい。私が警察に自宅を通報すると思っているようです。
「通報なんかしやせん。家まで行くぞ、余分な心配するな。」彼の不安を打ち消すように言いました。アパートの2階の彼の部屋まで肩を貸して昇り、布団まで敷いてあげました。
「薬はないのか。何にもないな、明日すぐ病院に行け!」そう言い残して彼のアパートを去りました。しかし何か彼のためにしてあげれないものだろうかと考え、1時間ほどして自宅に到着した私は、薬箱から包帯や塗り薬、そして生長の家の雑誌を持って再び彼の自宅に引き返したのです。彼の所に到着したのは午前2時半を過ぎていたと思います。
  いくらドアを叩いても声を掛けても居るのか居ないのか返事がありません。仕方なく玄関のドア付近に持ってきた薬と生長の家の雑誌を置いて帰宅し、戻ったのは午前4時近かったように記憶しています。

■突然の電話
  それから3年の月日が流れ、私は結婚してその事はとっくに忘れていました。ある日妻が「○○さんという男の人から電話があって、以前お世話になったと言い電話番号を知らせてくれた」と言うのです。まったく記憶にない名前で早速電話を掛けてみました。
「もしもし坂次と申します。お電話いただいたようですが、何のご用件でした?」
「坂次さん覚えておられますか。実は3年前に夜中に車で自宅まで送ってもらった者です。一言お礼を言いたくて電話しました。有難うございました。」と彼は言うのです。3年前の記憶が瞬時に蘇ってきました。
「あー、あの時の人か!よく電話してくれましたね。しかし私の電話番号がよく分かりましたね。」と言うと彼は、
「自分も結婚しまして、たまたま家の整理をしていましたら生長の家の本が出てきたんです。何の本かと見ていたら、これはあの時に車で送ってくれた人が玄関に置いていった本だったと思い出し、それで一言お礼を言いたいと考えて、本の裏にスタンプされていた電話番号にかけたんです。」
 私の心の中に大きな感動の波が起こりました。あの暴走族だった青年が、もう忘れ去られてしまってもいいような3年前の出来事を思い出し、わざわざ電話してお礼を言おうとした心に、立派な人間に育っていたことに感動しました。本当に人間は皆素晴らしい神の子ばかりでした。徳を積むことは人のためでなく自分のためだとつくづく思ったのでした。

■天の倉に宝を積むこと
  『新版 真理』10巻には「天の倉に宝を積むこと」と題して書かれています。
 肉体の意識は、物質の利得を希い、霊の意識は物質の利得よりも、不可視の世界に貯えられたる徳行を積まんことを希う。肉体は短期間のものであるが、霊は永遠のものである。肉体の利得を欲する者は短期間の欲得に心をけがし、霊の世界に徳行を積まんとする者は、永遠に亡びない宝石で心を飾ることになる。人間よろしく心の近眼を捨てて永遠の宝を目標として精進努力すべきである。他を愛し、他を助け、他のためになる善行を積んでおれば、必要に応じて、現実界になくてはならぬ事物も、天の倉から自然に現実化して出て来るのである。天の倉に貯えてないものを現実界から引出して来ようと思うから苦労するのである。