やけど

2018年10月01日

 

教化部長 坂次 尋宇

■妻からの依頼201802231821000
 私が30代後半の頃のこと、ある休日に家で休んでいると、妻はお勝手でお湯を沸かしながら外で洗濯をしていました。そして、お湯が沸いたようなので、私にそのお湯を保温ポットに詰め替えて欲しいとの声が聞こえてきたのです。それで私はお勝手に行ってみたら、お湯を沸かしているのはやかんではなく片手鍋でした。
 「あれっー、やかんじゃないのかー」と思いつつ、保温ポットの蓋を取ってポットを左手に持ったまま(ヽヽヽヽヽ)流しの上で、右手に持った片手鍋からポットの口にお湯を注ごうと思いました。しかし、ちょっと待てよ。このままお湯を注げば最初はお湯の流れ出る幅は細いけれども、傾ける角度が急になれば当然お湯は広い幅で流れ落ち、ポットの口より溢れてポットを持つ自分の左手にお湯がかかってしまうではないか。

■お湯がかかる
  私は、見えない妻に「おーい、このまま入れるとお湯がこぼれるぞ!」と言いました。
すると、妻から帰ってきた言葉は「大丈夫、私いつもやっているから」なんです。そうかいつもやっているのかと、妻の言葉を信じてお湯をポットに注ぎ込み始めました。最初はお湯の落ちる幅も細く良かったんですが、やはり途中からお湯が幅広く流れ落ちてきて、ポットを持っている自分の左手に熱湯がバサッとかかってしまったのです。
 「あっつーい!」持っていたポットや片手鍋を流しに投げ捨て、すぐ水道の水をお湯の掛かった左手に掛けました。その時、「バッカヤロー、思った通りやけどになったじゃねーか」と、とてつもなく妻に対して腹が立ったんです。妻がいつもやっていると言ったから、その通りやったので、私が悪いのではなく妻が悪いんだと。よく何か自分に不都合な事があると、本当は自分が悪いにも関わらず、国のせい、社会のせい、そして人のせいなどにしてしまうことがあります。そして自分の失敗や過ちを認めないんですね。

■感謝の言葉
  しかし、こんな暗い心ではいけないと思い、そうだこんな時こそ感謝の言葉「ありがとうございます」を繰り返し繰り返し唱えなければいけないと気が付きました。生長の家の教えでは、言葉の創化力と言って使用する言葉によって運命を作り出すと教えられています。ですから善い言葉は良い運命を、悪い言葉は悪い運命を創って行くのです。そこで私は左手に水をかけながら一心に「ありがとうございます」を唱えたのです。
 初めの頃は「ありがとうございます」を唱えていても、心の底(潜在意識)ではあい変わらず妻に対する腹立ちの気持ちがあって、なかなかすぐには心は変わるものではありません。唱える言葉と心が反発していて、なぜこんなことをしなければならないのかと矛盾を感じ、とても辛かったことを覚えています。ところが、しばらくその感謝の言葉を言い続けていると、不思議なことに腹だだしさが消えて心穏やかになり、誰も悪くなく、これは自分の過去の悪業が消えていく姿で、これからは一層良くなるのだと思えるようになったのです。
  15分ぐらい経った頃でしょうか、「あなた、どうしたの?」と妻の声がしました。その声を聞いた途端、「なにー、15分も後にいまさら『どうしたの』とはどういうことだ!」と、せっかく安らいでいた心が元に戻ってしまいました。これではいけないと、再度「ありがとうございます」を水をかけながら更に15分ほど唱え続け、合わせて30分間行った結果「もう、誰が悪いのではなく、全てこれから良くなるのだ」と心の底から思えるようになりました。

■元の手に
 真っ赤になった手に薬を付けたものの、火傷のようにケロイドの状態になるのだろうかと思っていましたが、医者に行くこともなくお陰様で一週間ほどで元の手にもどりました。お湯が掛かった後に、すぐ水で冷やす対処したことが良かったのと、やはり感謝の言葉を繰り返し唱えたことで、自分の心を安らぎと感謝に変えることが出来たことが幸いしたと信じています。
 人はよく事故に遭うと、自分が悪いのではなく、国や社会そして他の人の責任にしてしまうものです。こうした考え方は運命の主人公が自分にあるのではなく、偶然や他の力によって決まってしまうという考え方です。しかし生長の家の教えは、自分の運命は自分で作り出すことができるのですから、一切が自分の責任であると教えています。ですから、あらゆる事故や災難に出会っても、自分がどのような心でそれらを受け止めるかによって運命を良くも悪くもすることができるのです。
  すっかり火傷が治ってから妻に事の全てを話しましたら、「バカダネー」と言うんです。
なぜバカだと聞き正すと、「ポットは持たずに流しに置いてお湯を注ぐのよ!!」だとさ。