報いを求めずただ与える

2019年06月01日

教化部長 坂次 尋宇

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■ツルの恩返し
  「ツルの恩返し」と言う昔話がありますが、地域によって多少内容が異なりますのでご了承下さい。昔々、ある所に老夫婦が住んでいました。ある冬の雪の日、おじいさんが罠にかかった一羽のツルを見つけ、かわいそうに思った彼はツルを罠から逃がしてやりました。その雪の降る夜、美しい娘が夫婦の家へやって来て、道に迷ったので一晩泊めて欲しいと言うので夫婦は快く家に入れてやりました。しかし雪は幾日も止まず、娘は老夫婦の家に留まり、その間、娘は夫婦の世話をし彼らを大そう喜ばせました。
 ある日娘は「布を織りたいので糸を買ってきて欲しい」と頼み、その間「絶対に中を覗かないで下さい」と夫婦に言って部屋にこもり、三日三晩不眠不休で布を一反織り終わったのです。「これを売って、また糸を買ってきて下さい」と彼女が託した布は大変美しく、たちまち町で評判となり、高く売れました。更に2枚目の布を織り、それは一層見事な出来栄えで、更に高い値段で売れ、老夫婦は裕福になりました。
 しかし、娘が3枚目の布を織るためにまた部屋にこもると、おばあさんは娘がどうやってあんな美しい布を織っているのだろうかと、ついに覗いてしまったのです。すると娘の姿があるはずのそこには、一羽のツルがいました。ツルは自分の羽毛を抜いて糸の間に織り込み、きらびやかな布を作っていたのです。もう羽毛の大部分が抜かれて、ツルは哀れな姿になっています。驚いている夫婦の前に機織りを終えた娘が来て、自分がおじいさんに助けてもらったツルだと告白し、このまま老夫婦の娘でいるつもりだったが、正体を見られたので去らねばならないと言うと、ツルの姿に戻り、別れを惜しむ老夫婦に見送られ空へと帰っていきました。

■その話の続きが
 さて、この話には続きがあると言いいます。この「ツルの恩返し」の話を聴いた近所のじいさんは、自分も老夫婦にあやかって裕福になろうと考え、罠に掛かったたツルを探しに出かけるのですが、なかなかそんなツルには出会えません。あちこち探し回っていると元気そうな白い大きな鳥が休んでいるのを見つけました。そこでじいさんは一案を講じ、石を探してきてその白い鳥に見つからないようにして白い鳥に向かって「エイッ!」と投げつけました。石は見事に白い鳥に命中し、怪我をしてしまいました。じいさんはすかざず白い鳥のそばに走って行って怪我の手当をしてあげたのでした。
  その晩じいさんは、恩返しのために家を訪ねてくる娘を今か今かと待っていました。すると夜になると娘が訪ねて来て、泊めて欲しいと願うので、じいさんは内心「しめた。これで立派な布が織られて金が儲かる」と喜びました。そして夕食に立派なごちそうを作って娘に食べさせたのでした。ところがその娘は何日も居座り続けるのに、ちっとも布を織ろうとはせず、うまいものばかり食べて寝ているだけなのです。これにはじいさんも我慢できなくなり、「いい加減にしろ。毎日うまいものを食べさせてあげているのに、お前はいっこうに布を織らないではないか。ツルなら恩返しに布を織れ」と怒鳴ったのです。すると娘は答えました。「私はツルではありません。サギです。」

■最も尊いのは報い求めぬ愛yjimage[2]
『新版 生活と人間の再建』207頁には次のように書かれています。

  結果からいえば、与えれば必ず与えられるのであるが、与えられんことを欲して、人に与えても本当の喜びは得られないのである。もし報いを求めて人に与えるならば、それは本当に与えているのではなくして、ただ取引をしているだけなのである。「純粋に与えること」と「取引きすること」は全然別物なのである。取引きは商行為であって与えることではないのである。もし報いを求めて与えるならば、報いが与えられない時には腹が立ってくるであろう。かくの如きは神の如き与え方ではないのである。神は善人にも悪人にも、太陽が善人にも悪人にも光を与え給うが如く平等に恵み給うているのである。吾々の与え方も神の如き与え方になってのみ本当に神の無尽蔵の与え方が現れて来るのである。