さぬきの郷土に学ぶ「讃岐国分寺跡」
2021年12月04日
四国八十八カ所霊場の第八十番札所の「國分寺」(高松市国分寺町国分2065)は奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇の勅願、行基菩薩の開基により、国家安穏、五穀豊穣、万民豊楽等を願って建立されたました。この本堂に安置されている本尊は大慈大悲の十一面千手観世音菩薩で俗に丈六仏と称される5.6m余の巨像であります。
創建当時の国分寺の伽藍を復元したのが「特別史跡 讃岐国分寺跡」です。この史跡は現在の国分寺境内地の北東に位置し、近くには資料館が建てられています。
讃岐国分寺の伽藍は、仏像を安置する金堂、釈迦の骨やそれにかわる経典を納めた塔、僧侶が勉学する講堂、僧侶の共同宿舎である僧房、時刻を知らせる鐘楼などの建物が軒をつらねていました。敷地は東西220m、南北240mと国分寺としては標準的な大きさで、塔を回廊内の東に置く建物配置が特色です。
七重塔は仏塔の形式の一つで、聖武天皇の勅命により各地に国分寺が設置された際に、寺院とともに七重塔の建設が進められました。このため武蔵国分寺、阿波国分寺、讃岐国分寺など各地の国分寺の遺構には、七重塔の基壇を含むものもあります。
※伽藍(がらん)は、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、後には寺院または寺院の主要建物群を意味する。
創建当時の国分寺の伽藍を復元した場所は、地図赤枠の右上の青色の所です。
伽藍は当時の建物を10分の1の縮尺で、すべて石材を用いて復原されています。地元の石材業者が巧みな技術を駆使し、屋根に丸瓦や垂木を彫り込むなど、木造建築をできるだけ忠実に再現されています。
築地塀の復原は昔の役所や寺院など内と外を区切る重要な施設として作られました。ここでは、発掘調査成果に基づいて築地塀の一部を復原しています。大きさは、下幅1.8m、上幅1.5m、高さ3.93m、屋根には蓮華文の軒丸瓦と唐草文の軒平瓦を複製してのせられています。