講師信仰随想「啼くまで待とうホトトギス」

2022年04月20日

さぬき市 味間 清

   「嬉しい―いな 嬉しいな。楽しい―いな 楽しいな。よろこ―んで よろこんで。ありが―たい ありがたい。ジャジャジャジャーン!」今日も娘の明るく元気な唄声が聞こえて来る。娘はとっくに30歳を超えているが、思えば幼稚園の頃から母親に連れられて生長の家の道場に行き、お話を聞いたりお祈りをしたりして育って来た。幼かったので本人の自覚は分からないが、れっきとした生長の家の信徒であった。高校を卒業する頃には教師になる夢を描いて教育学部に進学した。2年生になった頃急に体調を崩して出られなくなった。元の元気な自分に帰りたくて、親が勧めたり本人が求めたりして、宇治・河口湖・長崎など生長の家の道場での修行を重ねたが、体調は一進一退だった。

 そんな訳でいまだに独身で、就職についても何回も挑戦するが続かないで過ぎて来た。生長の家では「人間は神の子で、悪いものは本来無いから、明るく笑って暮らせ」と徹底して教えられる。そこで数年前から彼女が自分で作って歌いだしたのが冒頭の唄である。この唄の他にも似たような唄をいくつか作って、家事をしながら口ずさんでいる。

 生長の家に『維摩経解釈』という本がありますが、その本の206頁に「そのまま素直」の説明がありました。そこに信長・秀吉・家康の「ホトトギスが啼かない時どうするか?」の話が紹介された後に次の言葉がありました。「吾々はもう焦ることは要らぬのです。必ずいいものがやって来るといふことを信じて、時到るのを待っていながら、今与えられているものに感謝して全力をつくしていたら必ずいいものが出て来るのであります。」

 私はこの部分を抜き書きして居間の壁に貼ってありますが、これを毎日見て暮らしていたら、先月娘が気に入った所に就職出来て楽しく出勤しています。ありがとうございます。