講師信仰随想「先祖供養は人生を支配する安心立命の羅針盤である」
2023年07月02日
高松市 森 利久
〈大地は神様 根は先祖 幹は両親 子孫は枝葉〉とは生長の家創始者谷口雅春先生のお言葉です。京都府宇治別格本山の永代供養課、受付前に掲げられています。
振り返れば、私は昭和46年の夏、まだ当時高校3年生であった頃「人生とは如何なるものか?」と悩み夏休みを利用して宇治の10日間の練成会を初めて受けさせていただきました。神々しい雅春先生のお姿を拝見し、なぜか涙があふれ大変感動したことを思い出します。
そして参加した練成会中には色々な奇跡が続出しました。末期の癌の方がトイレの中で腫瘍と思われる癌細胞の異物を多量に口から吐き出し、癒されたのです。また長年車椅子の老人が歩き出したり・・・よくもこんな世界があるのかと本当に驚きと感動で、あっという間の10日間でした。
私はその当時、母親の健康状態があまり良くなくて、とても心配しておりました。(私の母は戦後の間もない食糧不足の時、戦地から帰ってきた父と一緒に貧窮した生活状況の中、私を含めた子供6人を育てるために、一生懸命になって家業の食料品店を営んでいました。朝早くから夜遅くまで働きづくしであり、そのために身体に無理がたたって心臓を悪くし身体もだんだんと弱ってきていました。)
そうだ、母にもこの練成会に参加してもらえれば『きっと健康になれる』と思いました。
私が小学生の頃、「おかあちゃん、僕がなんでも手伝ってあげるから死なないでね・・・」と母にお願いすると・・・母は笑って「心配しなくていいよ。おかあちゃんは利ちゃん(私)が大人になって結婚するまでは絶対死なないから安心なさい・・・」と言って私を抱きしめたものです。
母が療養中、母の枕元で私が仕事に出かける前に生命の実相40巻を時々数ページ読んで聞かせました。本当に無邪気な顔で喜んでくれました。約1ヶ年半かけて全部読み終えたとき完治すると思っていましたが、静かに息をひきとりました。奇しくもその当時私は結婚してまだ3ヶ月という時でした。私は甘露の法雨と生命の実相40巻を母の前で読み終えて、母は霊界に旅立ちましたが、私と子供の時の約束として「私が結婚するまではおかあちゃんは死なないよ」という言葉通り約束を貫いたのです。私も今年70歳(古希)を迎えますが、この時のことを思い出しますと未だに涙なしでは語ることが出来ません。
後に私は母の愛の深さに対して感謝が足りなかったと、もっと生きている間に色々と助けてあげたかったと深く悔やみました。こんなにも体を酷使してまでも働く母の子供に対する愛情に、58歳の若さで天国へ行ったそんな母の仏前に座った時には、本当に心を込めて甘露の法雨を読誦することが習慣になりました。
最近では2年ほど前、私が両足の手術で麻酔が冷めず少し危険な状態になった時にも、不思議に助けられたのかなと感じられることがありました。いつもどんな時にでも私のご先祖が私及び妻、子供たち、孫たちをいつも護り導いておられると感じています。
最後になりましたが、母方の亡き祖父の救いと思われる体験をしましたので改めて紹介させていただきます。
2021年のハロウィンの日に、事務所から店舗の方へ行く途中、交通量の多い横断歩道を自転車で渡る時に、点滅信号であったので急いで渡ろうとした時、突然目の前に現れた人を避けようとして縁石にぶつかり自転車ごと4~5㍍程飛ばされました。とっさに柔道の受け身のような形で頭とその他の急所を外し転がりました。その時にゴレンジャーに扮した3人の若者が「おじさん大丈夫ですか」と近づいてきて車道から間一髪、急ブレーキをかけた大型バスの左折車を止めて助けられました。照れ隠しに笑って御礼を言いましたが、死亡事故になっていたと思われます。後で、「これ、おじさんの物ですか」と言ってカバンの中に入れていたはずの甘露の法雨のお守りを私に手渡しました。私の方に飛んできて救ってくれたと思いました。また有名な柔道家だった祖父の新しいお墓を姉が建立したばかりで私も墓参りしたばかりでした。後で考えると柔道を知らない私が、自転車ごと道路に叩きつけられ大怪我をしても不思議ではないのに自然と受け身を取り命を落とさずに済んだ。甘露の法雨と祖父の守護であったと思います。
このように先祖の護りがなければ何回か命を落としていたかもしれません。私に残された貴重な時間をこの光明化運動(神・自然・人間)の大真理を仕事を通して、私の使命を推し進めて行きたいと思います。