神の子の自覚を深め、生命の眼で観ること

2024年08月01日

教化部長 久利 修

 合掌、ありがとうございます。
 盛夏の候、香川教区の皆様には益々ご健勝にてお過ごしのことと、お喜び申し上げます。

■4月から7月にかけ、教区・白鳩会行事として「慈愛満ちあふれる祝福訪問」が開催されました。
 教化部長と岩瀬白鳩会長が、そろって県下全域の16総連に足を運び、総連単位毎の「真理講話」と「祝福の祈り」を行いました。「祝福の祈り」により、事故の後遺症で何年も上げる事ができなかった右手が上がるようになった体験も生まれ、どの会場も感動と喜びに満ち溢れた、すばらしい行事となりました。

■コップに入った半分の水を見て「なんだ、半分しかないじゃないか」と不足をいう人は、心が満たされていないがため、幸せであるはずがなく、同じ半分の水のコップを見ても「ああ有り難い。まだ、半分もある」と言える人は、心が満たされており、幸せであること、また、目の前に用意された〝おしぼり〟も人様の汗や汚れを拭いとってくれ、この〝おしぼり〟は自分の身を汚しながらも他を浄める働きをなさったと観る時、まさに〝菩薩さま〟そのものと観ることが出来ること、さらに、以下の話を紹介いたしました。

■小学校2年の教室。先生が、まだ幼さが残る生徒に次のような質問をした。
 「皆さん、氷が溶けると何になりますか?」  生徒たちは、そんな事は簡単だといわんばかりに、ハイハイと一斉に手を上げる。「はい、○○君」。先生に指名された生徒は、勢いよく立ち上がって、「氷が溶けると、水になります」と回答した。先生も生徒達も一様に正しい答えに満足した表情をしていた。
 その時であった。一人の少女が、「ハイ、先生」と手を上げたのであった。先生は、何だろうといぶかしがりながら、「ハイ、○○さん」と指名する。指名された少女は、落ち着いた、よく通る声で、「氷が溶けると春になります」と答えた。氷が溶けると春になる―その、ほのぼのとした答えに、先生はなんとも名状しがたい感動に包まれた。
 その日の授業が終わり、家路についても、「氷が溶けると春になります」と答えた少女の、暖かい人間性は一体どこから来るのだろうかと、先生は考えをめぐらしていた。そうだ、きっと少女の家庭での教育がもたらした結果に違いない、近いうちにその少女の家庭を訪問してみようと思い至った。
 家庭調査票を調べてみると、少女の家は母一人、子一人の母子家庭であった。ある程度は予期していたものの、訪問してみると、少女の家は、全くみすぼらしい粗末な家であった。
 大東亜戦争(太平洋戦争のこと。当時の日本側の公称)に敗れ、日本がまだ充分に復興していない時代で、国民の中には、その日の食事にも事欠く者もいた時である。通された部屋には二月というのに暖房器具の一つもなく、ひび割れた窓ガラスは形のよい切り紙で補修はされているものの、戸の隙間からは、北風が遠慮なく吹き込んでくる。授業でのことを語ると、母親は吾が子の成長を素直に喜ぶとともに、次のように語った。「私どもは母一人、子一人の貧しい生活ですが、子供には言って聞かせるのです。どのようなことがあっても、また、どのような時にも、希望を持つのですよ。この北風が吹きすさぶ寒い冬も、やがて、氷が溶けると春になるからね」と。
 ふたたび、胸に暖かいものを感じながら、先生は少女の家を出たのであった。

■8月18日・19日、「宝蔵神社盂蘭盆供養大祭」が執り行われ、生長の家総裁・谷口雅宣先生が斎主としてご奉祀くださり、白鳩会総裁・谷口純子先生がご臨席くださいます。
 さあ、真心こめて霊牌を浄書し、心を清めて大祭をお迎えいたしましよう。