悦び溢れる「神性開発さぬき見真会」

2025年05月01日

教化部長 久利 修

 合掌 ありがとうございます。
 新緑の候、香川教区の皆様には益々ご健勝にてご活躍賜りますこと、心より感謝申し上げます。

■生長の家の神示の中に昭和7年3月14日に天降った『いのちのゆには』の神示があります。その冒頭には見眞道場(いのちのゆには)とは眞(まこと)を見(あら)はす齋(きよ)めの場(には)である。『眞』とは『生命(せいめい)の實相(まことのすがた)』のことである。齋めるとは迷いを除くことである。人は神の子であるから、その實相を見(あら)はせば病なく、惱なく、死なく、一切の不幸は無い。と示されており、さらに中程には、次のように示されています。

  本だけ讀んで悟れる程の境(きやう)に達してゐない人のためと、人を救うために尙 (なお)一層深く知りたい人のために、智慧の光に、愛の溫さを加えて色々世話をやくやうに智と愛との十字で曼陀羅 (まんだら)を織らせるのが見眞道場(いのちのゆには)である。
  このように、生長の家の道場は、すべて「いのちのゆには」、即ち「生命(いのち)の齋めの場」であり、まさに、生長の家香川県教化部は、吾ら香川教区信徒のための「いのちのゆには」であります。

■4月12日~13日、第10回神性開発さぬき見真会が、色とりどりの花が咲き誇る香川県教化部で開催されました。参加者は2日間で115名、神の子の実相が顕れた大盛会の見真会となりました。三人の方の悦び溢れる参加感想文を、ご覧ください。

【榎内 香さん】
 合掌。二日間、参加させて頂きました。一番心に残ったのは、祈り合いの神想観です。肩が痛いのが治った、足が軽くなった、健康になった等、祈り合いの神想観が終わった後の皆様のお顔が、笑顔が素晴らしかったったです。
 二日目の、教化部長先生の講話は本当に素晴らしかったです。
 お花見弁当、全て手作り、ご愛念が詰まっていて、とても美味しかったです。お炊事の係りの方、ありがとうございました。
 皆様に直にお会いできて大変嬉しかったです。

【西川 成美さん】
 さぬき見真会の参加は、今年の二月以来の二回目でした。自分の中での消極的になってしまう気持ちを少しでも落ち着かせたらなという思いで今回も参加させて頂きました。先祖供養祭をする事によって、参加者全員の念が教化部いっぱいに行き渡ったかと思うと嬉しい気持ちになり、私も心が軽くなりました。生活していく中で、悩んだりする事もこの先、あると思うけれど、生長の家の教えをもとに思いやりの心を大切に感謝も忘れず、ありがとうを毎日言える自分でいたいです。(中略)
 ますます万事好都合よく何事もうまくいくことを信じていけたらと思いました。神に全てをお任せして、楽しく過ごして参ります。
 参加できて良かったです。

【山田 弘子さん】
 合掌。すっかり春景色の暖かい日差しの中で、さぬき見真会が素晴らしく感動を与えてくださっています。人間神の子の講話は素晴らしく、この世に生を受けて、生かされている事に大変ありがたく思います。 昼食が素晴らしく美味しく皆さんの笑顔を見ながら楽しい花見となりました。
 炊事担当の増田さんのご愛念がこもったお弁当とプランターが花一杯で私達を和ませて頂きました。
 久利教化部長先生の愛いっぱいの祈り合いの神想観に、お一人お一人の神の子の顕現を祈らさせて頂き、ただただ有難い気持ちで一杯です。さぬき見真会は最高に素晴らしい。ありがとうございました。

■「いのちのゆには」である教化部改修のための献資活動が4月1日よりスタートいたしました。
 「積善(せきぜん)の家には余慶(よけい)あり」という諺は、「善行を積み重ねた家には、その報いとしての幸せが必ず子孫に訪れること」、「余慶は、祖先の善行のおかげで、子孫に及ぶ幸福のこと」を意味します。教化部改修のための献資は、善行を積む絶好のチャンスであると申せましょう。「お金を出させて頂いて、こんな嬉しい、こんな有り難いことはございません」と、合掌して、お礼を言って高額献資された信徒のお姿は、誠に尊いものでありました。

再合掌。