講師信仰随想「母の思い出」

2025年08月20日

丸亀市 小谷治子

 “神と偕なるが故に一切のこと能はざるなしである”
 これは『日々読誦三十章経』「二十日の経言」の一節です。百才の母が、この一節を病院のベッドの上で
二、三回怒鳴るように言ったのを聞いたことがあります。多分、無意識に口から出たのだと思います。
 母は、父が戦死の後、舅、姑に仕え、三人の子供を育て生長の家を信仰していました。
 百才の母の誕生日に、「百才とは長い年月だった?」と私がたずねると、「いや、あっという間だった。」とあっさり。「一番うれしかったことは?」と聞くと、「静雄(次男)が司法試験に合格した時だった。」と母は答えました。私は熊本へ嫁いでいて居なかったが、祖父によると、家中、電報を持って「万歳、万歳」と走り回ったとか。
 思えば六十年前のこと。私は【おめでとう、とうとうやりましたか、感動で言葉もありません。】と祝電を打った日が、九月二十七日。後日わかりましたが、“大調和の神示”の天下った日でした。実に不思議です。
 その兄の法律事務所で、主人亡きあと、四十七年間お世話になりました。その時、母から生長の家を知らされ、今に至っております。病気知らずの丈夫な身体に生んで頂き感謝しかありません。
 私は、母に対しては一度も抵抗したことなく、そのままハイと生きて来ました。その母も十年前に亡き父の許へ。母亡き後、神様にハイ(拝)を行じて、今世を了(おわ)りたい気持ちです。 
 香川県教化部会館の大改修の献資の展開中の今、神様に、久利教化部長にハイ(拝)して、会員以外の方にもご協力賜りたく、お願いに全力を掲げ、走っております。