謹賀新年

2016年01月01日

教化部長 坂次 尋宇

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  新年明けましておめでとうございます。今年も皆様方のご健康とご多幸を心よりお祈りさせて頂くとともに、世界のため日本のため人々のためにご活躍されんことを重ねてお祈りいたします。


■賽銭泥棒?
 昭和58年11月頃でしたか、私達三人親子は両親と同居するため名古屋市郊外の広い家に移転しました。翌年の元旦には両親とともに家族そろってその地域の氏神様へ初詣に出かけました。神社の境内には朝から近所の小学生と思われる子供達数人が元気よく遊んでいて、今まで住んでいた名古屋市内とは違った温さを感じました。
 お参りするために賽銭箱を探すのですが、不思議なことに何処を探しても賽銭箱が見あたりません。すると一人のおじさんが初詣に来られ、社殿手前にある拝殿と思われる欄干も囲いもない板張りだけの建物の床に直にお賽銭を投げ、お参りを始めたのです。「あれ、こんな所に賽銭を投げるなんて、誰かに取られてしまうがな」と思うやいなや、境内で遊んでいた子供達が、吾先にとその板の間に駆け上り投げられた賽銭を奪い合っているのです。取るにしてもせめてお参りが終わり帰ってからと思うのですが、ところが賽銭を投げたおじさんは、目の前の様子を気にもせずにお参りを続けていました。
  生長の家を一所懸命信仰している母親はこの状態を黙って見ておれなくなり、子供達を叱りつけました。するとお参りをしていたおじさんが母親に、「この神社では、小学生だけが賽銭を取っても良いように賽銭箱が置いてないのです」と言うのです。さらにこのようになった理由は、賽銭泥棒が頻発して設置してある賽銭箱が何度も壊されたため置かないようにし、元旦だけは賽銭を小学生が拾っても良いということになったそうです。どうりで元旦から子供達が神社にいる理由が分かりました。


■何が違うのか?
 私はこのやり方に納得がいきません。と言うのも翌年の元旦からは我が子がお参りもせずに賽銭を競って拾うようになってしまったからです。この問題点は、大人が神様に対する信仰や畏敬の念が弱いために現状に妥協していることと、それを知らない子供達にきちんと伝えていこうとする努力を放棄していることです。このような環境で育った子供達は、他の神社の賽銭を取っても罪悪感を感じなくなる可能性があるのではないでしょうか。ですから大人が正しい神への信仰を勇気を持って実践し、子供達にきちんと教えていくことが私達大人の大切な使命であることあらためて感じました。ちなみにその神社は現在では立派な賽銭箱が設置されていました。