先人の篤き思いに感謝

2016年07月01日

教化部長 坂次 尋宇

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■無私の心
  5月「殿、利息でござる」という映画を見ました。題名や宣伝用のポスターにはチョンマゲが銭になっていたのでお笑い映画かと思っていたんですが、人々のために私財を投げ打ったという大変感動する映画でした。
  約250年前の江戸時代中期の頃、宮城県黒川郡大和町吉岡は吉岡宿と呼ばれ、出羽街道、松島道との分岐点で交通の要所だったので、多くの物資や人が出入りして栄えていたそうです。吉岡宿では伝馬役と言って街道を通る大名行列のために馬を引いたり荷物を運ぶ仕事をしなければなりませんが、他の宿場と異なり仙台藩の直轄領ではなく但木氏の領地であったため、仙台藩から伝馬御合力という助成金が支給されず住民は重い課税に苦しみ、転居する者が現れだして空き家が出始め吉岡宿は衰退の一途を辿っていました。
 こうした吉岡宿の住民の貧困を見かねて、造り酒屋の穀田屋十三郎とお茶農家の菅原屋篤平治が思いもよらぬ計画を練り上げたのです。それは武士が百姓から米を巻き上げるとは逆に、百姓が武士から金を取るという方法です。当時仙台藩は、若き殿様の浪費等があって財政的に厳しい状態だったためまとまったお金が必要でした。そこで菅原屋篤平治と穀田屋十三郎は一千両という金を作り仙台藩に貸し出し、その利息一割をもらうという計画です。
  この話を黒川郡の大肝煎(「おおきもいり」と言い村政を担当した村の首長)千坂仲内に話したところ、いたく感動して賛同を得、その他に6人もの賛同者が加わることとなりました。そして節約に節約を重ね足かけ8年という月日をかけて一千両という現在の金額で1~3億円の大金を集める事が出来たのでした。yjimage[1]
  それから仙台藩へこの話を何度も何度もお願いし、遂に約束を取り付けて無事一千両を仙台藩に納めることができました。それからは毎年暮れに利息の百両が支払われ、町の人々に分配され幕末に至るまで吉岡宿は人口が減ることもなく豊かに過ごしたと言うことです。
■先祖への感謝
  吉岡宿の人々は、穀田屋十三郎ほか8名の出資者に対してその功績を讃え感謝の気持ちをいつまでも忘れないために、「国恩記」という記録書を残しました。この書が元になって本や映画が制作されたのです。
  今、私たちが平和で豊かで幸せな生活をさせて頂いているというのは、先人や祖先の方々の並々ならぬ努力の恩恵の賜ですから、この度各地で開催される「幸せを招く先祖供養祭」に是非参加されて、あらためて先祖に対して真心の供養をさせて頂きましょう。
■よろこびの先祖供養
 楠本加美野編者『よろこびの先祖供養』の表紙に次の文章が書かれています。
  「親が先祖供養していると子供も親や先祖を大切にし、更には自然と天皇様に感謝できるような子供になるのである。枝葉から幹へ、幹から根へと感謝の思いが浸透すると、その感謝の念は更に悠久なる大地・宇宙へと、いのちの根源へつながっていく。その大いなるいのちの根源から無限の祝福が、今度は根から幹へ、枝葉へと伝わっていくのである。」