幸福は何処にある?
2016年10月04日
教化部長 坂次 尋宇
妻「あなた、あれ取って♪」
夫「あれって?…それか」
妻「違う、あれよ」
夫近くまで移動し
夫「ああ、これか!」
妻「違う違う、それじゃない」
夫「いったいどれなんだ?」
妻、夫に近づいて来て
妻「こ・れ・よ!まったく役に立たないんだから(-_-#)」
ある夫婦の会話ですが、ここには多くの指示語が使われています。指示語とは日本語の「それ」「そんな」や英語の“this”“that”のような、現場にあるものや文脈上の要素を指し示す表現で、日本語では一般に「こそあど」と呼ばれる4系列があります。コ系列を近称、ソ系列を中称、ア系列を遠称、そしてド系列を不定称と呼ぶ場合もあります。
コ系列では[これ、ここ、こっち、こいつ、この]等の言葉があり、自分に近い所や自分に所属することを示しています。ソ系列では[それ、そこ、そっち、そいつ、その]等の言葉で、やや離れた所のことを示したり相手の近くのことを示します。次にア系列は[あれ、あそこ、あっち、あいつ、あの]等の言葉があり、遠いところの事を示すとともに自分と相手に関係ない別の所のことを示しています。そして最後にド系列では[どれ、どこ、どっち、どいつ、どの]等の言葉で、不明なときに使用する言葉です。
さて天国はいったい何処(どこ)にあるのかと問えば、空高く雲海の広がる遥か高き所かと思えばそれは今此処(ここ)にあるのです。『新版 光明法語』の6月24日の法語には「今此処が天国」と題して次のように書かれています。
誰にでも自己の天国があるのである。自分の脚下を見、真に自分に与えられたものを享受しこれを生かし働かすとき其処に天国は現れるのである。必ずしも富めるが天国ではない。富めるが為に財産税にて首を縊れる人がある。富めるがために強盗を怖れて不眠症になる人もある。貧しき者偶々富みて脚下を忘れ、婦人に弄れて不治の病いを得るものあり、人格をそこなう者あり、富は必ずしも天国の条件ではないのである。諸君が今此処に於いて与えられたる恩恵に目覚めるとき天国は今此処にあるのである。
夫「おい、背中かいてくれないか、右の方だ」
妻は背中に手を伸ばして
妻「このへんかしら?」
夫「ああ、もうちょっと右上かな」
妻「ここらへん?」
夫「そこそこ、あー天国極楽!」