本当の失敗はない
2019年11月01日
教化部長 坂次 尋宇
■一瞬にして消える
私の弟は、長年家族が多く集う正月やお盆などに写真や動画をデジタルカメラで写してパソコンに取り込み、その後に家族が集まる折り折りにテレビ画面に映し出して家族全員で見ながら昔を思い出して楽しんでいました。その写真は日付けと行事毎にまとめられており、相当な数になっていました。
今年の夏だったと思いますが、お盆に帰省した時に弟から「写真のデータが全て無くなった」と衝撃の一言を聞かされました。長い間の家族の記録が一瞬のうちに消えたそうです。パソコンによるデータの管理は簡単で、しかも場所を取らないので大変便利です。しかし取扱を間違えると全てが一瞬にして消えてしまうという危険があります。逐次別の物にデータを保存しておくことが大切ですね。
■水の泡と消える
私たちの人生においても大小の違いはあるにせよ、このような事はしばしば起こる事があります。せっかく汗水流して苦労して作り上げた尊い物事が、一瞬にして無に帰してしまう、まさに「水の泡と消える」ですね。そんな時、情けないやら悔しいやらで失望落胆してとても落ち込んでしまいますね。
しかしこれは無駄になった事や損をした事の方のみに注目しているのであって、それを成す過程のたゆまぬ努力に注目していないと思います。真心を込めて真剣に努力した事は紛れもない事実であり、其処にこそ尊い価値を見いだす必要があると思います。
■日時計主義の実践
『新版 真理』第1巻の259~260頁には次の様に示されています。
悪い出来事が現れて来たときには、それを嘆いてはなりません。それはもう起こり済なのです。現像に失敗した写真をいくら後から嘆いても何にもならないようなものです。今迄の現像に失敗したなら、なおの事、これから現像に失敗しないように、善い現像液をつくらねばなりません。嘆きの濁った「想い」がまじった現像液を造っていたら、また今度も現像に失敗するでしょう。そこに何があったにせよ、過去のことは過ぎ去ったのです。過ぎ去ったことにクヨクヨしてはなりません。クヨクヨするほど、次の世界を定着し出す現像液が濁ることになるのです。失敗を嘆くコトバを人に話してはなりません。又みずから呟いてもなりません。失敗を失敗として語ると、それは失敗になりますが、コトバの力で、それを失敗でないように語りますと、それが失敗でないようにあらわれるのです。電燈の発明者であったエジソンは、電力で電燈を点すことが出来るまでに数百回、色々の工夫をしたが失敗しました。そして他の人が「あなたはこの発明を完成なさるまでに、随分度々失敗なさったでしょう」と云ってたずねましたら、エジソンは「私は一回も失敗したことはありません。人々がそれを失敗と見るときに私は、斯の方法では電燈が点らないと云う数百の法則を発見しました。」と答えたと云います。エジソンは、他の人から見たら「失敗」と見えるときに、常に「善き物」を自己の魂の中に吸収して、そしてそれを応用して幾多の発明を完成したのであります。