写経のすすめ
2020年06月01日
教化部長 坂次 尋宇
■祈りとともに心を浄める
今年4月頃より生長の家香川教区では新型コロナウイルス感染拡大防止のため、信徒の皆様に写経によるコロナウイルス撲滅に取り組んでいます。但し写経といっても般若心経とは違い、生長の家のお経や祈りの言葉等を浄書するものです。真理の言葉を真心を込めて浄書することにより、私達一人一人の心を浄めて、神様の創造した実相世界には人間を傷つけるようなコロナウイルスは本来存在しないという信念を確立するとともに、現象世界では感染拡大が早く収束することを祈るとともに、感染拡大にご尽力くださっておられる方々に感謝の気持ちを込めて写経をいたします。皆さんも般若心経の写経等をして、祈りを捧げるとともにこの輪を広げましょう。
■天皇のされた写経
日本の永い歴史の中で、戦や干ばつによる飢饉・疫病など国民が色々な苦難に遭う時、当時の天皇が国民の惨状を聞かれ一刻も早い平和の実現に向けて写経をされた事がありました。その一部を紹介させて頂きます。
◇嵯峨天皇(旧嵯峨御所大本山大覚寺ホームページより)
来たる平成30年(2018)は、旧嵯峨御所大本山大覚寺並びに華道嵯峨御流のご始祖である嵯峨天皇が、宗祖弘法大師のお勧めにより、般若心経を書写された弘仁9年(818)から丁度1200年に当たります。この弘仁9年の春、大旱魃(かんばつ)から全国に疫病が蔓延したことに対し、嵯峨天皇は「朕の不徳にして多衆に何の罪かあらん」と、正殿(御所)を避けて離宮嵯峨院で質素倹約に努められました。そして4月26日から28日までの3日間、弘法大師のお勧めにより、嵯峨天皇及び公卿百官は素食精進のもと、般若心経に帰依して読誦転経し、殊に嵯峨天皇が紺紙に金泥で一字三礼の誠を尽くして般若心経を書写されると、霊験あらたか、疫病はたちまちに治まり、大いなる功徳を得られました。
◇後奈良天皇人物[編集] (ウィキペディア)
慈悲深く、天文9年(1540年)6月、疾病終息を発願して自ら書いた『般若心経』の奥書には「今茲天下大疾万民多阽於死亡。朕為民父母徳不能覆、甚自痛焉。窃写般若心経一巻於金字、(中略)庶幾虖為疾病之妙薬(大意:このたび起きた大病で大変な数の人々が亡くなってしまった。人々の父母であろうとしても自分の徳ではそれができない。大いに心が痛む。密かに金字で般若心経を写した。(略)これが人々に幾ばくかでも疫病の妙薬になってくれればと切に願っている。)」との悲痛な自省の言を添えている。この写経は大覚寺と醍醐寺のほか、24か国の一宮に納められたと伝わっている。三河国、伊豆国、甲斐国、安房国、越後国、周防国、肥後国のものが現存している。