万教帰一における祭祀作法
2023年12月01日
教化部長 久利 修
合掌 ありがとうございます。
初冬の候、香川教区の皆様には益々ご清栄にてご活躍賜りますこと、心より感謝申し上げます。
香川教区では、毎月、神官の練成・養成を図るため、教化部長指導の下、「祭祀作法研修」が行われています。
現在、日本において行われている生長の家の祭祀作法は、万教帰一の教義の下、如何なる宗教に属する人からでも受け入れられ易い、日本古来の神道的儀礼作法に則って執り行われています。このことについて、大聖師・谷口雅春先生は次のようにお説きになっておられます。
「そこで日本人ならキリスト教の人でも、仏教の人でも、神社詣りをするので、神社の式典的な儀式なら、仏教の人でもキリスト教の人でも反感なしに集まり易いので、万教帰一を目標とする生長の家では、その葬祭の儀式作法は、特別のことは除き、だいたい神社式典の儀礼作法に則って行うことになっているのである」(『白鳩』誌・昭和45年10月号)
昭和53年11月、龍宮住吉本宮落慶鎮座奉祝大祭という、住吉大神を御顕斎申し上げる歴史的大祭典を迎えるに当たり、生長の家本部・総本山・宇治別格本山の祭祀担当者が祭祀作法についての協議・研鑽を行って作法の統一が図られるようになり、その作法に基づいて祭式が厳修されるようになりました。
昭和61年には、祭祀作法の基本的指導書として『生長の家総本山祭祀作法教範』が作製され、この“教範”に基づいて、日々、清新敬虔なる心で祭典奉仕が執り行われているのです。
一方、海外の儀式については、平成5年に「国際平和信仰運動」が提唱され、平成6年には「生長の家における儀式の基本的な考え方」が決定されました。
その内容は、生長の家を世界各国において布教するとき、その国々の異文化圏の社会が、それぞれ自然に受け入れることが出来るような「儀式」を考案する上で、“基本”となる「考え方」のことであります。即ち、「神を祭る心」は世界各国共通で普遍性があるということ、しかし、具体的な祈りの仕方など、形に現わされた「形式」は、各国の人々の慣習や伝統に基づいて制定されるものであり、個々に異なる「形式」になって然るべきである、ということなのです。
従って、日本で、私たちが行っている「祭祀作法」はあくまでも“生長の家総本山祭祀作法”に基づいている作法であることを知って、日々、精進・努力することが大切なのであります。
祭祀作法の基本の冒頭には「作法の心得」として、青戸波江教授の作法に関しての教え歌が載せられています。(註:同教授は明治46年6月、神社祭式行事作法を制定され、皇典講究所の祭式礼典の指導教授を務められた、神社祭式作法の権威であります)
・徒にわずらわしさは礼ならず 単純にして優雅なるべし
・祭るべき 神に心をまづよせて 身のふるまいは後と知るべし
振り返ってみますと私自身も、原宿の生長の家本部で祭員の一員として、また、宇治別格本山の祭司部長として、総本山・龍宮住吉本宮の宮司として、み祭りにご奉仕させて頂いたことの有り難さは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
祭典奉仕を勤めさせて頂く神官・神舞姫は「神と参列者との仲取り持ち役」であると、言われています。神様は目に見えませんが、神官・神舞姫の所作を通して、参列者が、そこに神を感じ、見い出し得る“み祭り”であることが要請されるのです。
その為には、『生長の家』信徒行持要目の「六、常に自我を死に切るべし」「常に肉体本来なく、物質本来なく、自我本来なく、唯神の生命、今此処にあらわれて生くると思いて感謝して作務すべし」を心がけ、精進努力することが大切なのです。
再拝