祝福の愛念を与える

2017年10月04日

教化部長 坂次 尋宇

■与えれば与えられる
  平成27年以来2年ぶりに「幸運の扉を開く見真会」を11月に県下8会場で開催します。2人の素晴らしい講師の講演と皆様が提出して頂いた祈願券をその場で祝福祈願させて頂きます。
  この見真会は、私達の家族はもちろんのこと、多くの知人の幸福を祈り愛念を与えることが第一の目的で、そのための意義と実践を学ぶことが出来ます。与える所から幸福な運命が開けます。『生活と人間の再建』の195頁には次の様にあります。

  与えれば与えられるのは人生の法則である。蒔かぬ種は生えぬのである。まず第一に種を与えなければ収穫は得られないのである。この明瞭な道理を自覚しない人達がずいぶん多いのである。与える量が多い程受ける量も尚多いのである。

■稲を拝む
  この真理を実証した体験が『光がこだまする』という本の81頁に載っていました。

 かつて農業日本一になられた宮永庄太郎さんの話を「文藝春秋」で読んだことがある。
 普通、一本の稲の穂から何粒の実がつくかというと、百粒から百二十粒といわれている。三百粒の実がつくと、穂に穂が咲いた、万歳!ということになるそうである。
  ところが宮永さん、なんと一本の稲の穂から、九百粒から九百五十粒くらい実をつけた。どうしてこんな良い結果が生まれたのだろうか。
 実は、この稲の穂、顕微鏡で詳細に調べると、一本の稲の穂に千粒の実がつくようになっているのだそうである。ところが常識的には、さきほどいったように百粒から百二十粒位であると思われている。この常識の限界を破って宮永さんは、千粒の可能性ギリギリを開発して、遂に日本一になられたのであった。
 その秘訣をきかれた宮永さん曰く。普通の人と違っている点を一つだけあげるとすれば、それは、「稲の穂を拝むことです」と答えておられる。
 宮永さんによると、「先ず稲の穂を拝んで行くと、稲の方から拝まれるにふさわしい稲になって下さる」いうのである。

■幸せを掴むチャンス
  この見真会に是非ご参加頂いて、「与える」と言う行為が巡り巡って自分に返ってくることを知っていただき、生長の家の聖使命会員となって神様とのパイプをしっかりと繋いで幸せになって頂くことを願っています。

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