〝フト思う〟とは

2018年09月01日

教化部長 坂次 尋宇

20180712-OYT8I50007-L[1]■災害支援へ
   岡山の豪雨被害の災害復旧支援のために、生長の家香川教区から8月11日に2名、12日には3名、そしてトラック1台で行ってきました。私は12日に入りました。
 現地に入ってみるとテレビや新聞等で報道されている様子はほんの一部で、想像以上に厳しい状況でした。浸水した倉敷市真備町の殆どの家屋は2階の窓の半ば当たりまで水に浸かった形跡があり、家財道具の殆どは使用不可能となって空き地や道路に山積みにされていました。
 私は二軒の信徒のお宅の清掃やゴミの運搬をさせて頂きましたが、被災された多くのお宅は人影も少なく、家財ゴミだけが道路や庭・ガレージに山積みされている状態でした。これから家を掃除するにも水道は使用出来ましたが、電気はまだ不通でした。ボランティアによるきめ細かな支援が、これからも長い間必要だと感じた次第です。被災された方々が一刻も早く元の生活に戻られるよう祈っています。
 現在香川県教化部では7月の西日本豪雨被災者に対する支援募金を実施しておりますのでどうぞご協力をお願い致します。
■床上浸水
   昭和45年8月高校1年生の夏休みでした。平日はクラブ活動で毎日登校していましたが、その日はどういう訳か行く気がせず「今日は止めた!」と私はクラブ活動をサボってしまいました。
   正午頃だったと記憶しています。その日弟は友達の所に遊びに行ってましたので、母と2人でした。急に雲行きが悪くなり突然の豪雨で、夕立程度なら10分程で止むと思っていたところ、一向に止む気配が無いのです。すると見る見るうちに前の道路が冠水してくるではありませんか。このままでは床上浸水するのではと危機感を覚えました。そこで低い所にある物を高い所に上げるた、兄弟の勉強机を六畳の部屋に並べ、その上に持ち上げられる畳を五畳ほど積み重ねて、またその上にタンスの下から二番目までの引き出しや押し入れの下の段の荷物をその上に積み上げましたが、水はあっという間に床上15センチ程になってしまいました。
■守護霊の導き
   今思い返すと不思議な事です。何故その日に限って私は学校へ行くのを止めたのか?当時私はまだ生長の家を信仰していませんでしたが、母が一所懸命生長の家を信仰していて、先祖供養を欠かさずしていた記憶があります。もし私が登校していたならば、母一人では到底タンスの引き出しや色々な荷物を水から護ることは出来ませんでした。ここに神の導きか守護霊の導きがあると感じます。
  『霊供養入門』の263頁~264頁には次のように書かれています。


   フト思いつきながら、すべての人は自分の選んだ道を歩みながら、ある人は死んで行くし、ある人は生きながらえて栄えの道をのぼって行くのである。その〝フト思う〟の〝フト〟とは何であろうか?(中略)人間には守護神というのがついていて、その人を安全で、繁栄の道へ導いてくれるようになっているのである。(中略)守護神は霊であるから導くと言っても霊波によって導くのである。


   私たちは常日頃から先祖に対する感謝を怠ってはならないことの意味がここにあるのです。