感謝の実践
2020年12月01日
教化部長 坂次 尋宇
■重心を取る
【一念通天】という言葉がありますが、その意味は「どんなことでも、ひたすら信じて念じ続ければ、必ず天に通じて、成し遂げられるということ。」とあります。信仰も同じで、宇宙の真理を本やインターネット、講話等で色々勉強して頭で理解しても、「悟」という境地にまでは行かないものです。悟ところまで行くためには真理の実践が必要で、実践を通して頭で理解していたことが魂で把握することができます。
例えば初めて自転車に乗る時に乗り方を教えてもらう場合「まずペダルをこいで前進させ、右に傾いたらハンドルを右に切り、左に傾いたらハンドルを左に切って倒れないようにうまく重心を取りなさい」と説明されますが、最後の「重心を取る」という意味は初めて自転車に乗る人には経験していないのでさっぱり分かりません。「重心を取る」ことを体得するには実際に練習しないと分からないことです。
■車への感謝
現在私の愛車は7年経った250ccのスクーターで、主に通勤に使用しています。毎朝スクーターに乗車して出発する時に合掌して「今日も安全に私を運んでくれて有り難うございます。」と感謝し、帰宅したら降りる時に「今日一日事故無く安全に運んでくれて有り難うございました。」とお礼の感謝をします。
この車への感謝の祈りは、青年の頃に初めて車を買った時から始めて今も続いています。車への感謝を続けていたある時ふと思ったのは、この車はこの世に生まれてきて、誰が自分の主人になるのだろうかと。そしたら私がこの車を購入し主人となって何年か使い、ついに廃車にすることになりました。車の立場から考えてみると、車の一生は生まれてから購入した主人のために全てを捧げ、どんな乗り方をされようが文句も言わずに一所懸命に尽くして一生を終えます。この事に気付いたとき車に対する感謝の涙が溢れてきました。この感謝の感情は、感謝し続けるという実践によって導き出されたものです。
■すべての物に感謝
『新版 光明法語』の108頁には次のようにあります。
四月九日 すべての物に感謝する祈り
また神はすべてのものの内にましますが故に、すべてのものに感謝し、それを讃めたたえることは偉大なる祈りである。神に感謝しても万物に感謝しないものは、真に全く神に感謝しているのではないのである。ただ神に対する祈りは、神の表現である「万物」に対する祈りよりも、尚一層直接的であると言い得るのである。されば吾々は毎日或る一定の時間は神に対して心を完全に振り向ける祈り(神想観)を行じなければならぬ。それと共に神の表現である万物に感謝しなければならぬのである。
令和2年もあと1ヶ月となりました。今年の1年を振り返ってお世話になった人や物や事に感謝を致しましょう。そして新年に向けて何か実践する事を決意致しましょう