さぬきの郷土に学ぶ「生木地蔵尊」

2021年05月01日

生木地蔵尊

生木地蔵と大樟=観音寺指定文化財(天然記念物)


 今回は香川県観音寺市にある樹齢1200年の生きた大樟の中に地蔵尊がある『生木地蔵尊』を紹介します。大樟は、樹齢約1200年と推定されています。胸高周囲7m、樹高30mで樹姿樹勢ともよく、風格を備え、県下でも大きい方です。
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墓地の守り神のような大樟

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お地蔵さんを雨の日でも礼拝できるよう大樟に合わせてお堂が建てられました。


 この大樟には、地上約70cmの高さから髄に向かってノミを入れ、心材の部分に高さ1.5mの地蔵尊の立像が彫刻されています。枝の広がりは見事であり、下部の支幹は途中から地表に向かって大きく湾曲して、中には先端が地上1m位まで垂れ下がったものもあります。
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お地蔵様は透明な板で仕切られています。お顔のところだけは穴が開いているので直接見ることができます。

 <><>楠の霊木に宿る「生木(いきき)の地蔵さん」縁起<><>
 天保7年(1837)の秋もようやく深まろうとするころ、豊田郡大野原村と中姫村の村境にある楠の大木に向かって、一心にノミを振るう一人の老人の姿がありました。
 斎戒沐浴して身も心も清め、手もとを照らすローソクの灯りをたよりに、一刀三拝、幹の奥ふかく刻まれてゆくのは、身の丈五尺ほどの地蔵菩薩のお姿でした。
 木屑から漂う楠木の香りのなかで、老人の唱える般若心経が、朝早くから夜の更けるまで、彫られた空洞の中に響いていました。
 この人は中姫村に住む森安利左衛門と云い、この年病弱であった一人娘ナヲさんの病気平癒を祈願し四国霊場八十八ヵ所を巡拝して帰って来たばかりでした。
 利左衛門さんは四国遍路の途中、伊予の丹原で大木に彫られた仏像に心をうたれて、自分もこの霊木に地蔵菩薩を刻もうと発心したのだと云われています。伊予の仏像とは、番外別格霊場十一番正善寺の生木地蔵のことでしょう。
 利左衛門さんの精進は続きました。やがてこの年も暮れ、翌天保八年の正月も過ぎた頃、彫り始めてから三ヵ月余りでこの霊木の幹の中に端正な地蔵菩薩の立像が完成しました。耳の大きい、目許が涼しげな美男におわすお地蔵さんでした。
 二月の吉日を選んで、開眼供養が行われました。喜んだ里人も多数参列し、白衣観音経二千巻、光明真言三十一万遍が読経されたと伝えられています。
 このとき、どこからともなくみすぼらしい一人の旅の坊さんが現れ、供養の様子をじっと眺めていましたが、「そんなことでは魂は入らない。私がお性根を入れてあげよう」と言うや否や、人々が驚くのもかまわず大音声で経文を唱え錫杖を力一杯振り鳴らしました。すると不思議や、お地蔵さんが大きく目を見開いて、パチパチとまたたき(まばたき)をしたと云われています。「ありがたいことじゃ」と人々が手を合わせ深く頭を下げたあと、ふと気がつくと、さきほどの坊さんはかき消したようにその姿はどこにも見当たりませんでした。
 それ以後、誰云うとなくこのお地蔵さんのことを「またたき地蔵」と呼ぶようになったのだと云う話が残されています。
 のちに、お地蔵さんを包みこむように楠の木にくっつけてお堂が建てられました。お堂の中で見ると、ちょうど、仏壇の奥の仏様と同じように、お堂の奥にお地蔵さんが拝めるようになっています。
 お地蔵さんの霊験はあらたかでした。利左衛門さんは慶応二年、八十六歳で、病弱だったナヲさんは大正八年十一月、なんと百歳までの長寿をまっとうしました。二人のお墓は地蔵堂横の墓地にあります。
 生きた木に彫った地蔵さんー「生き木の地蔵さん」として近隣の人々に親しまれ、県内はもとより県外からの参拝も多く、霊験話は枚挙にいとまがありません。
 「御丈五尺にキンランの法衣」といわれるお地蔵さんは、生木であるために少しずつ身長が伸びており、現在までに十センチほども御丈が高くなっております。
 この楠の木は、弘法大師のお手植という説もあり、付近は古くからの墓地なので、「地中から霊魂を吸っており、切れば血の出る霊木」としてあがめられております。


 以上の文はお堂の中に置かれていたコピーの文章より転載しました。