講師信仰随想「信仰生活を振り返って!」

2021年07月26日

高松市 東原和子

 私が生長の家に触れたのは、嫁ぎ先が生長の家を信仰していたからです。最初は何も知りませんでしたが、結婚して2人の男の子を授かり、次男が3歳前に無免許のオートバイにはねられたことがありました。脳挫傷で当時の新聞にまで出ました。近くの病院に運ばれましたが、一週間余り意識が戻りませんでした。

 私はただ次男の意識が戻る事を願うばかりでした。その時姑が交通事故と云うのは一方だけが悪いのではない。一秒違っても事故には合わないので、相手を決して恨んではならない。許す事、そして一切の補償も、もらわない事を教えられました。そして生長の家のお経である聖経『甘露法雨』を誦げたら良いと言われました。言われるまま実践してみました。その結果、次男の意識が戻り何の後遺症も無く徐々に回復し、基の生活に戻りました。

 私達は分家ですが本家で生長の家の信徒の集まりである誌友会がある時お手伝いをし、後ろで話を聞いていました。その内、栗林にある光明会館へ誘われて早朝神想観(祈りの集い)に通うようになり、故長尾正幸講師に誘われて昭和47年に初めて宇治別格本山の短期練成会(宿泊して研修する行事)に参加し、私が7歳の時戦死した父に初めて感謝することが出来ました。その後父の永代供養も申し込みました。主人も2才の時父が亡くなっていたので分家して初めての大きな買い物が仏壇でした。それから先祖供養の大切さを教えられ聖経を毎朝誦げています。

 最初は母親教室(若いお母さん方の集い)に月一回通い諸講師方から子育てについて学び、その後我が家で開催するようになり20人近く参加してくれました。そして白鳩会誌友会に移行し40年近く続けています。今はコロナ禍で休んでいますが、主人と共に元気で野菜・お花・果樹と自然と触れあい乍ら感謝の生活をしています。当たり前に生活出来ることの喜びを感じています。