観音様は男か女か?
2021年10月01日
教化部長 坂次 尋宇
■何故女に生まれたか
谷口雅春先生著『真佛教の把握』と言う本の84頁から、人間が何故男女の性に別れて生まれてくるのかと言う事について書かれています。『維摩経』の「観衆生品」の中に、智恵第一の釈尊の弟子である舎利弗と天女の問答が書かれていますが、なかなか面白いのです。
舎利弗が天女に対して「舎利弗言わく、『汝、何を以ってか女身を転ぜざる』」つまり「貴女はどうして女になって生まれて来られたのでございますか、何故に男に転じて生まれて来ないのですか」と言う問いかけです。皆さんはこの質問に対してどの様に答えられますか?そんなことを言ったって、物心ついた時には既に男の子又は女の子だったわけで、自分で男女を選んで生まれて来た訳ではないと思いませんか。だからそんな質問をする事自体が間違っていると。
そしたら天女は次の様に答えています。
「わたくし12年前から、人間の実相を観ずれば、女人の相というものを見ようとしてもどこにも女人を見ることが出来ないのです。実相を観れば、すべての人間は佛・菩薩ばかりです。人を誘惑する女体というようなものは、私の目には見えないのでございます。」
そして谷口雅春先生は天女の言葉を次の様に解説しておられます。
「すべての人間は佛・菩薩であって魂をして歓喜せしめるような光明輝く実相身をもっていられるけれども、男を性的に誘惑するような、淫らな誘惑力のある女人を見ようと思っても、実相を観ずる私の眼には見出すことがでないのです。ここに女人とあらわれているのは幻術師が、人に催眠術をかけて、女人が居らんのに女人の姿にあらわして見せているのと同じことであるんですから、“何故お前は女体をしているのだ”と問われても、その問いそのものが見当違いであります。女体は始めからないのです。…このように、天女がいっているんです。」
■本来人間の実相は男女性なく悉く如来身
さて、ここで大変重要な真理は、人間なるものの本質について『維摩経』には次の様に説かれていると谷口雅春先生が書かれています。
「女人にして女人にあらずと、男女性を抹殺して、男も女も、悉く如来であると説いたのです。われわれが男に生まれ、女に生まれているのは仮りの相であって、わたし達は、どちらの姿にでも生まれ変わることが出来るわけです。」
なぜこのような事が言えるのかと言うと、「本当は神の生命は男女性をもちながら男性・女性不二である。吾々は皆、男であると共に女である。人間の本性は即ち実相は陰陽の二原理を内に含みながら、陰陽不二の霊体であって、如来であるというわけであります。」と説かれています。
人間が現象世界に生まれる時、男となって生まれて来た時は男にしか体験出来ない事を学び、女として生まれて来た時は女でしか体験出来ないことを学んで、男女両性を表現するという事になる訳です。
■観音様は?
さて、最後に観音様は男か女かの問題ですが、観音様を見ると男のようであり女のようであり、中性的に作られている感じがします。その事について「ときどき、観音様は男であるか女であるか、といって訊く人があって、或は神は男であるか女であるか、といって訊く人があるけれども、観音様は男でもなく女でもない。従って、神の自己顕現であるところの人間の実相は、男でもなく女でもない。いろいろの体験を積んで霊魂を磨くために、及び、一佛にして一切相を示現せんがために、摂理によって或る期間は男身を顕じ、ある期間は女身を顕じているのであって、「女身を現ずと雖も、而も女身に非ず、男身を現ずと雖も、而も男身に非ざるなり」と『維摩経』は説くのです。」と言うのが答えです。
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