言霊(ことたま)について

2021年11月01日

教化部長 坂次 尋宇

■「シクラメンのかほり」?85e20152b8c0026226acb3fb56ee7acc_1603813278[1]
   1975年4月に発表されたシンガーソングライターの小椋佳さんが作詞作曲した「シクラメンのかほり」は、布施明さんが『第4回東京音楽祭』にこの曲で出場したことで大ヒットとなり、『第17回日本レコード大賞』と『FNS歌謡祭』グランプリなど、年末の大型タイトルを総なめにしたそうです。
 さて、歌の題名である「シクラメンのかほり」の「かほり」ですが、本来の「香」の仮名使いからすれば「かおり」となるはずです。しかし「かほり」と「お」を「ほ」に変えたのはどんな意味があるのでしょうか。「お」では主張が強く眼に見えない香が感じにくく思えるのに対し、「ほ」の方は控えめで眼に見えない香が漂ってくるように感じられ、たった一文字の違いで伝わってくる雰囲気が全然違いますね。ただ契沖以降の「歴史的仮名遣」では「かをり」が正しいとされているそうです。ちなみにシクラメンの花には殆ど匂いがないそうです。

■物事の本質はコトバ
   谷口雅春先生著『新版 真理』第4巻の185頁に「言霊(ことたま)の神秘に就いて」と題する文章があり、コトバとは即ち「発声音と想念と行動」の三つを含めたもので、その意味と五十音一つ一つが持っている本質を解説されていますので、紹介します。

コトバとは何であるか
 ヨハネ伝には「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕にあり、言は神なりき」とあります。そして一切のものが言によって造られたと書かれているのであります。それでは言とは一体何であるかと云いますと、宇宙の太初(はじめ)には無論肉体人間は存在しませんから、人間の唇から出る言葉でないことは明かであります。これは宇宙に満つる霊の振動であり、生命の活動であります。宇宙大生命が波動を起こした、しかし物質はまだ顕れていないから物質の形では動くことができない。そこで心で動くのであります。心で動くと云うのは「想念の波」を起すと云うことであります。丁度ラジオの波のように宇宙一ぱいひろがった想念の波が起るのであります。ラジオの波は電波のままでは吾々には聞えませぬけれども、既にコトバであるのであります。その電波がやがて吾々の耳に聞える波動となったり、眼に見える形となったりして顕れて来ますように、宇宙に満つる大生命の波動が想念即ちコトバであって、それがやがて形の世界にあらわれて来るのであります。だから事物の本質とは何であるかと云うと、此のコトバでありまして、形ではないのであります。ラジオの声の本質は電波であって形ではないのと同じであります。そこで事物の本質はコトバであるから、吾々が素朴な心になって事物に接するとき、その事物のコトバ通りの発音を自然に発声し名づけたくなるのであります。(中略)だから人間の自然発声のコトバは、事物の本質を自然に表現している事になります。(後略)

■「か」の音霊とは
 それでは「かほり」の「か」が同書197頁にどの様に解説してあるかを紹介します。

「カ」の音霊
 「カ」という音霊は何う云う意味を含むかといいますと、「カ」はカスカ(幽)という意味であります。捉えんとすれども捉えることが出来ない、あるがように見えてもない、幽玄なと云うようなヒビキを持っているのであります。「薫」であるとか、「霞」であるとか、「陰」であるとか、「空(から)」であるとか、「風」であるとか、「隠れる」とか、そういう風な、幽かにして捉えんとすれども捉えることが出来ないものにそう云う名称がついております。カラダ(体)と云うのも本来「空(くう)」であるから「空(から)」だと云うのであります。更に転じて「光り輝く」と云う風な意味の「カガヤク」なども同じ意味から来ているのであります。「輝く」のと「カスカ」なのとはちょっと考えると全く反対で、「カスカ」は消極的で、「輝く」は実に積極的見たいようだけれども、よくその実相を見ると同じような意味から来るのであります。吾々が太陽の輝いているのを見るとその光線が余りに羞明(まぶ)しくて、見て居ると本当の相がわからない。捉えんとすれども捉えることが出来ない、光を手でつかむことは出来ない、そこで「輝く」という言葉の語源もそこから来ているのであります。