祝福することの悦び

2023年06月01日

 教化部長 久利 修

 合掌、ありがとうございます。
 色鮮やかな紫陽花の咲く季節となりました。
 香川教区の皆様には益々ご清祥にて、人類光明化運動・国際平和信仰運動にご活躍賜りますこと、心より感謝申し上げます。
 新型コロナウイルスも感染症法の2類から5類に移行し、いよいよ対面型行事が活発に開催される状況が見えて来ました。そこで、信徒・誌友の方々に喜んで教化部会館を使用して頂けるよう、教区における運動推進を図る六者会議で、教化部・境内地美化の活動を行うことが決定されました。すると、その決定に呼応するかの如く、5月初め、綾歌総連の有志の方々が、玄関前の花壇の清掃と除草の作業をご奉仕くださいました。花壇は見違えるばかりに美しくなり、まさに「菩薩、心浄ければ佛土浄し」であります。唯々、感謝です。

  『如意自在の生活365章』の243頁には「愛を実践する者は神の祝福を受ける」と題して次のように書かれています。
 神は愛であるから、愛を実践している全ての人々を祝福し給うのである。愛を人々に施す人たちの心は、神の愛の心に波長が合うがゆえに、その人たちは神の祝福を素直に受けて幸福になることができるのである。すべての善き宗教の指導者、教師たちは、何宗にかかわらず、神の祝福の波を感受することができるのであり、彼らが本当に無我献身で、神の栄えをあらわすため及び人々を救うために働いている程度に応じて、彼らは神の祝福をより多く感受し、自然に講演講話の能力は増進し、神癒の霊能は発達し、多くの人々を救うことができるようになるのである。

 私は、前任教区の大阪でも、祝福について
 ① 目の前に居る人を神様と思い、大切に、大切に想うこと
 ② 祝福する者が祝福されること
 ③ 祝福は人に与える行為であるから豊かになること
を強調してきました。

   練成会参加者の一人である鈴井倫世さんの書かれた「練成参加感想文」は、その祝福の素晴らしさを、如実に実証しています。
   久利教化部長先生の「周りの人々を祝福しましょう」とのお話を聞いて実践するようになりました。
   浄心行の後、部長先生の指導に従い隣の人と手をつなぎ「同じ一つの神様の生命ですよ」と言われるままに念じておりました。肉体は離れているけれど自他一体で一つ生命だと実感でき、とても暖かい気持ちになりました。帰りの電車の中でも、今までは何とも思わなかった人々が皆同じ生命でつながっていると思うと、今日、ここで出会った人とも縁があるのだと思えました。
 今まで、伝道を負担に思っていました。聖使命会に入っていられる方に対しては、なんで母親教室に来てくれないの、なんで講習会に来ないのと、心のどこかに責める気持ちがありました。「私の周りの方を祝福しましょう」の話を伺った時、私の心は「来てほしい、こうしてほしいばっかりの心だった」ことに気づきました。私とかかわるすべての人達が本当に尊い存在であったことに気がついたのです。  特に、聖使命会費をかけて下さっている方々、時間をつくって母親教室に来て下さっている方々、本を受け取って下さっている方々は、本当に有り難い方達であった、どんなに祝福してもし過ぎることのない方達と思え、なんだか輝いて見えるようになりました。
 私にかかわるすべての人々を祝福していくうちに、その方に機縁が熟した時に自然と仲間となって共に光明化運動ができるのだと確信が持てるようになりました。  感謝合掌

 今、鈴井倫世さんは大阪教区・白鳩会総連会長として大活躍しておられます。
 さあ、祝福の輪を広げ、「新しい文明の構築」に向かって、愛の大伝道を展開して参りましょう。