嫁の亡き父の供養で子宝が授かる

2021年07月01日

教化部長 坂次 尋宇

■思わぬ謝辞を話すgahag-0016679598-1[1]
   平成30年に次男が結婚し、披露宴で両家を代表して私が招待者に謝辞を述べることになっていましたが、直前まで挨拶の内容が決まりませんでした。普通は前日までに挨拶の内容を決めるのですが、何故かこの時ばかりは決まらなかったのです。
 披露宴が始まってプログラム通りに進んで行くのですが、挨拶がちっとも決まりません。ところが挨拶の直前になって「ふと」思い出したことがありました。それは、新婦のお父さんは新婦が中学3年生の時に亡くなられていたことで、当然結婚式には参列されていないのです。後で分かったことですが、新婦の親族のテーブルには亡きお父さんの写真が置かれていたそうです。それで私は挨拶の中で「亡きお父さんは、娘さんの結婚を大変楽しみにされていて、この会場に必ず来られていて心から喜んでおられますよ」と話しました。
 何日か過ぎた時に、「あれっ、そうだったのか」と気付いたことがあります。披露宴での挨拶が直前まで決められなかったのは、新婦の亡きお父さんが私に挨拶の内容を決めさせないようにして、直前に私を通して自分の喜びを皆さんに伝えたかったのだと。
『聖経 続真理の吟唱』の193頁に「高級神霊の導きを受ける祈り」の中に、次のような文章があります。

(前略)まことに「ふと思いつく」という事の中には、神秘な、運命を支配する力が秘められているのである。その「ふと」というものは一体何であろうか。われわれが、考慮せず、計画せず、図らわずして思いつくところの、その「ふと」というものは、人間を幸福の運命にも災禍の運命にも導いて行くのである。
 ふく思いつかせる神秘者は、人間の脳髄の中には居ないのである。それは霊界から何らかの霊がわれわれに霊波を送って来てふと思いつかせるのである。(後略)

■霊牌供養で兄夫婦に子宝
   話の続きがあります。次男の結婚の少し前から、嫁の亡き父の霊牌を毎月書いて生長の家宇治別格本山へ奉納していました。嫁には母と同居している兄夫婦がいるのですが、結婚して2~3年経つのに子供が授からないのです。
 結婚の翌年の令和元年5月に次男に長女が誕生し、何と嫁の兄夫婦にも8月に子供が誕生し、嫁の実家は兄妹に一度に子供が授かり大喜びでした。ところで兄嫁が妊娠した時期を逆算すると、偶然か私が嫁の亡き父の霊牌を納め出した頃に重なるのです。
『霊供養入門』の265頁には次の様にあります。

   聖経の読誦を供養されることによって、その霊魂がいよいよ一層“迷い”の束縛から解脱するに至ると、その霊魂は神通力を得て、今まで聖経読誦の供養を受けたことの感謝報恩に、守護神となって、その人を健康と繁栄とに導いてくれることにもなる。

■お盆には先祖に想いを馳せて感謝の供養を
   今年も盂蘭盆が近づいて来ました。ご家族の方々に真心を込めて霊牌を浄書して頂き、宇治へ奉納致しましょう。