山々への新たな感動と感謝

2022年06月01日

教化部長 坂次 尋宇

■早明浦ダムへP1060078
 5月3日、高知県にある早明浦ダムにバイクで行ってきました。高知県の北部山間部にある早明浦ダムは、徳島県を流れる大きな吉野川の上流に位置し四国の水瓶とも言われています。昔香川県は大きな川がないため、日照りが続くと直ぐ水不足になりましたが、吉野川の水を香川県に導く香川用水が共用区間は昭和50年、農専区間は昭和56年に完成してからは水の心配が殆どなくなりました。
 早明浦ダムに行った理由は、5月1日頃のニュースで早明浦ダムの貯水率が46%で例年より40%も少ないと知ったからです。香川県民としては早明浦ダムの恩恵を多大に受けていて何時も水のことを心配することなく安心して使わせて頂いているので、ダムへの感謝と雨乞いをするためでした。

■聖経読誦と山々への感謝P1060237
 5月の連休でしたのでダムの堰堤には観光客も来ていましたが、祈りをしに来たのは私ぐらいかも知れません。ダムの左岸の上にはダムとダム湖と更には新緑に包まれた山々を一望できる展望台と、横にはヘリポートもありました。そこでダムに向かって聖経『甘露の法雨』を読誦しダムへの感謝と雨乞いの祈りをしました。
 その後ダム湖の周りを一周しようと思い湖岸沿いに走ってみました。湖に流れ込む川の深い谷が幾つもあり一時は道に迷うほどで、とてつもない湖の広さに驚きました。さらに湖岸の道から眺められる山々を見た時、はっと気付かされました。それは眺められる山々に降り注いだ雨は、川となって全てこのダム湖に流れ込んで来ます。この山々があるお陰で香川県民が安心して水を使うことが出来ると思うと、新緑の山々が何と有り難いことかと感動と感謝の思いが湧き上がってきたのです。今までにない山に対する新しい感動でした。

■純粋なる感謝の心
 『新版 真理』第9巻の71頁~72頁には次の様に書かれています。

感謝は純粋でなければなりません
「実相」に於いて既に与えられている神の恵みを、現象界に導き出すための導線をつなぐのは感謝する心が大切なのであります。感謝の心が自分の心の中にひらけて来ますと、恰も漏斗が上を向いて大きく口をひらいているように神の恵みがあなたに流れ入って来るのであります。しかし感謝すれば何か貰えると思って不純な心をワザと起しますと、その漏斗の中に不要な異物がつまったような恰好になって却って神の恵みが淀みなく流れ入ることができないのです。徹底的に純粋なる感謝の心になることが必要です。感謝が「物を貰うための手段」となったら、それは恰も乞食が「物を貰うため」にお辞儀をしているのと同じで、そんな不純な感謝を神は決して嘉したまうものではないのです。感謝は本当に純粋感謝でなければなりません。